ビジネスマンのための「デジタルIDウォレット」解説
この記事では、デジタルIDウォレット(=デジタルアイデンティティウォレット、DIW)について解説します。基礎からビジネスモデル、実際のユースケースまでをテンポよくご紹介していきます。
デジタルIDウォレットの概要
デジタルIDウォレットとは「個人のアイデンティティ情報を格納し、外部への提示や証明に関する処理を提供するアプリ」です。
OS標準ウォレットとの違い
「ウォレット」という言葉から、すぐに「Google Wallet」「Apple Wallet」を思い浮かべる方も多いでしょう。実際、これらのOS標準ウォレットもデジタルIDウォレットとしての機能を備えています。

近々、マイナンバーカードの機能がApple Walletに取り込まれることが発表されています(参考)。
この機能により、これまでスマートフォンにマイナンバーカードをかざして行っていた本人確認等が、スマホ一台だけで済むようになります。まさしく「個人のアイデンティティ情報を格納し、外部提示に関する処理を提供する」ウォレットの役割を果たしているわけです。
Google WalletやApple Wallet以外のウォレットは必要なのか?
ここで疑問となるのは、他にもスマートフォンで管理したい情報がある場合です。
たとえば学生証や資格合格証を電子化してApple Walletに取り込めれば便利ですが、現状ではApple Walletに独自のデータを格納することはハードルが非常に高いです。学校が「Apple Walletに学生証を入れたい」と考えても、それを実装する手段がほぼ存在しません(*1)。
また、デジタルIDウォレット”単体”では、取得から提示までの一連の流れが分断されてしまうことがほとんどです。たとえばある試験の合格証データを取り込む際、試験の申込みや受験票の管理も同じアプリ内で完結し、合格した瞬間にウォレットへデータが入ってくるのが理想的でしょう。しかしOS標準のウォレットでは、こうしたカスタマイズを入れるのは困難です。
マイナンバーカードをApple Walletに格納する際にはセルフィー撮影による本人確認フローが入りますが、これはApple Walletに標準装備されていた機能ではなく、「岸田総理大臣がAppleのCEOに直々に頼んだ」というレベルの話(*2)だからこそ実現したとされています。
「スマホ(=デジタルIDウォレット)で管理させたい情報」は、発行・取得のプロセスや、その後の活用シーンを含めてワンセットになっています。データ管理部分だけが単独で存在するわけではないため、周辺のカスタマイズ性やそのハードルが普及には欠かせない要素だといえます。
お金の流れ(ビジネスモデル)
ウォレット開発を検討する事業者に向けた話です。
まず、ユーザーはウォレットアプリを無償で使える必要があります。
個人情報を管理するアプリにお金を払う感覚がユーザー目線では薄く、「有料アプリだからこそ信頼できる」といった認識も一般的ではないためです。
ただ、特定機能を利用する際に課金するスキームはあり得ます。たとえば、事業者側が永続的にデータを保有・管理するようなオプションをユーザーが望むのであれば、そのコスト負担をユーザー側に求めることも検討されます。
ユーザーから料金を取らない場合には、発行元や検証先の事業者から収益を得るモデルになります。ただし「データ発行元から取る」「データ検証先から取る」など、どちらから収益化するかは一元的に定義できません。基本的には一般的なプラットフォーム型サービスと同じく、「ウォレットの導入を強く求めている側」や「従来のスキームにおいて支払いをしていた側」「情報の非対称性によって弱い立場にある側」から徴収することになります。
前章で述べたように「データ管理には、その前後に取得や利用のプロセスが伴う」ため、ピュアにデータ管理機能だけを見つめてもお金を払うステークホルダーは出て来ません。ビジネス的に成り立たせることを検討する過程で、デジタルIDウォレット本来の役割を超えた付加機能を含む、より幅広いサービスとして展開することが必要となります。
ここで勘の鋭い方は「ウォレットが業務機能をもつと、利用シーンによって利用できるウォレットが固定化し、ユーザーにとっては煩わしくならないか?」という疑問を持つのではないでしょうか。(ウォレットの乱立)
その答えは「そうなる可能性が高い」となります。
ユーザーがウォレットを使うのは「外部から利用を促されたり、指定されたから」という受動的なケースがほとんどでしょう。学校がAウォレット(とそこに標準で紐づく発行や検証の仕組み)を採用するなら学生はAウォレット、資格団体がBウォレットならBウォレット、国がOS標準ウォレットなら国民もそれを使う…といった具合です。
デジタルアイデンティティの最新潮流や標準化の議論とは対極の内容ですが、ここは間違いないと思います。
市場の一般的な競争メカニズムによって、導入規模の大きいウォレットが徐々に寡占化を進め、小規模なウォレットが淘汰される未来は想定されます。その結果としてウォレットの数は絞られていくかもしれませんが、それは標準化による互換性の進展とは別の流れです。
世界一成功しているウォレットのビジネスモデル
デジタルIDウォレットではありませんが、暗号資産をノンカストディ(自主管理)で扱う「MetaMask(メタマスク)」というアプリは、広義の“ウォレット”として大成功を収めました。

メタマスクでは、ユーザーがアプリを通じて外部サービスを利用する際、ごく薄い手数料を取得する場合があります。
ユーザーにとって、あちこちのサービスを探してウォレットを接続するより、普段使っているメタマスクをハブにして暗号資産の交換や分散型金融サービスを利用できる方が便利です。(サービス事業者にとっては、メタマスク上での導線を確保すれば、多くのユーザーを一気に取り込めるため魅力的です。)
デジタルIDウォレットも、ユーザーベースが十分に拡大すれば「この属性のユーザーに簡単にアクセスできるプラットフォーム」というセールストークが成立する可能性があります。国内ではミライロID、海外ではID.meがまさにこの形で成長してきました。
将来、ウォレットが寡占化により巨大なプラットフォームとなれば、こうした新しいビジネスモデルが生まれてくるかもしれません。
日本にあるデジタルIDウォレット
日本ではまだデジタルIDウォレットは普及していませんが、少しずつ事例が増えています。
当社Receptは「proovy」というデジタルIDウォレットを提供しており、教育機関や資格団体の公式アプリとして導入いただいています。エンドユーザーはこのアプリを通じて、スマホだけでアイデンティティ情報を管理できるようになっています。
デジタルIDウォレットで扱うデータ規格としては、VC(Verifiable Credentials=検証可能なデジタル証明書)が代表的です。当社のproovyでもVCを採用しています。
また、マイナンバーカードを使った認証サービスを提供しているxID社も、デジタルIDウォレットをリリースしています。xID社も同じくVCを採用しており、自治体が発行する紙の証明書や割引券をデジタル化してxIDアプリ内に保管できる機能を提供しているようです。
xIDのIDウォレット機能を利用することで、自治体から発行される紙の証明書や割引券等をデジタル化し、xIDアプリ上で保管できます。IDウォレットに保管された証明書等を提示するだけでなく、各種証明書等の有効性確認や提示履歴の蓄積が可能です。IDウォレットは、現在Verifiable Credential(※)を活用したデジタル証明書に対応しています。
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000108.000037505.html
さいごに
冒頭で述べたように、デジタルIDウォレットは「個人のアイデンティティ情報を格納し、外部への提示を行うアプリ」にすぎません。しかし、仮にデジタルIDウォレットを世に出してユーザーに教科書通りの説明をしても「ああ、個人情報を厳密に管理することの重要性を語る、ピンとこない系のサービスね。」と思われてしまうでしょう。
そこを超えるには、ユーザーに対して安全性やプライバシー保護以外の強いメリットを提供するか、ユーザーが受動的な存在だと割り切って事業者側を巻き込む必要があります。(残念ながら、過去の情報銀行や従来の次世代アイデンティティ系サービスはここを整理できていないものがほとんどだったと感じます。)
ちょっとだけ宣伝
デジタルIDウォレットの機能要件や普及状況は生成AIに聞くのが最速最善です。
一方で、「デジタルIDウォレットを必要としている人は実世界のどこにいるのか?」「商業的に成り立たせるにはどうするか?」といった視点であれば、ウォレットを商業提供している当社だからこその見解をお届けできる可能性があります。
より詳しくお聞きになられたい方は、当社サービスサイトのお問い合わせフォームや私のFacebookからご連絡ください。
参考・補足
*1:Google WalletはApple Walletに比べてハードルが低い(機能解放されている)です。Apple Walletでも、静的なバーコード表示等は比較的容易ですが、ICカードのような機能を模倣するのは現状ほぼ不可能です。
*2
「岸田文雄総理大臣とApple社CEOティム・クック氏のリーダーシップのもと、マイナンバーカードの機能をスマートフォンへ搭載するという大胆な取組に、Apple社とともに協働していくこととなり、大変嬉しく思っています。現在、日本のIDカードであるマイナンバーカードは、1億人以上の国民のみなさまに申請いただき、様々な官民のオンラインサービスをはじめ、約6万を超えるコンビニで行政サービスを受けられるなど、日常生活で広く利用され、災害や救急でも利用できます。デジタル庁は、スマートフォンを基盤とした世界をリードする安全で便利なデジタル社会を、構築してまいります」と、河野太郎デジタル大臣は述べています。
https://www.apple.com/jp/newsroom/2024/05/apple-announces-first-international-expansion-of-ids-in-apple-wallet-in-japan/
ちなみにアメリカでも運転免許証がApple Walletに入る州がありますが、同様にセルフィ写真による本人確認が入ります。
*3:本記事のサムネはCANVAのテンプレートです。レコメンドされたので使いました。