なぜ貿易文書でVerifiable Credentials(VC)が利用されるのか徹底調査
世界の貿易業界で静かに進む「前提条件」の変化
国際貿易の分野では近年、貿易デジタル化をめぐる議論の焦点が静かに移りつつあります。
これまで中心だったのは、「紙をなくす」「書類を電子化する」「システム同士を接続する」といったテーマでした。EDI、電子インボイス、電子B/L、各国税関システムなど、技術的な選択肢は広がり、制度整備も各地で進んでいます。
実際、世界貿易機関(WTO)の貿易円滑化協定(TFA)には、到着前処理(pre-arrival processing)や電子決済など、手続の効率化を促す措置が含まれています。
また、UN ESCAP(国連アジア太平洋経済社会委員会)は越境ペーパーレス貿易の枠組みを推進し、電子的な貿易文書の普及を後押ししてきました。
一方で実務の現場では、電子化されたはずの書類が、関係者ごとに繰り返し提出・確認され続ける構造が残っています。そこで近年、単なる電子化の延長ではなく、「データを第三者が客観的・再現可能な方法で検証できるか」が、設計論点として前面に出始めています。
参照先:WTO – TFA
https://www.wto.org/english/tratop_e/tradfa_e/tradfa_e.htm
電子化は進んだが、非効率は残り続けている
制度とシステムの整備が進んだにもかかわらず、国際貿易の現場では例えば次のような負荷が残りがちです。
- 同一内容の情報が、関係者ごとに繰り返し求められる
- 金融機関・税関・取引先などが、それぞれ個別に真正性確認を行う
- 規制対応や資金調達で、確認・照会・再提出が発生する
背景には、「データは電子化されたが、その真正性を第三者が即座に検証できる共通の仕組みが、実務に十分行き渡っていない」という問題意識があります。
国際貿易の現場で何が起きているのか
― 電子化されても残り続ける非効率の実像
国際貿易の非効率性は、抽象的な制度論の問題ではなく、日々の実務の積み重ねとして顕在化しています。
たとえば、日本の製造業や商社の輸出担当者は、製品を海外に出荷する際、商業インボイス、パッキングリスト、運送状(B/L)、原産地証明書など、複数の貿易文書を作成します。これらの書類はすでに多くの場合、紙ではなくPDFやExcelといった電子形式で作成されています。
しかし、その「電子化された書類」は、取引の関係者ごとに何度も提出されます。取引銀行には決済や貿易金融のために提出され、物流事業者には輸送手配のために提出され、輸入国側の税関や規制当局には通関や規制確認のために提出されます。書類の内容は基本的に同一であるにもかかわらず、提出先ごとに形式や確認ポイントが微妙に異なり、修正や差戻しが発生することも少なくありません。
受け取る側の負担も大きいものがあります。銀行の貿易金融担当者は、インボイスや運送状を受領するたびに、その書類が真正なものであるか、改ざんされていないか、取引内容と整合しているかを確認します。電子ファイルであっても、最終的な確認は目視や人手によるチェックに依存しており、発行元への照会や追加資料の提出を求めるケースも多く見られます。同じ企業、同じ取引内容であっても、取引のたびにこの確認作業が繰り返されるのが実情です。
税関や規制当局の立場でも状況は大きく変わりません。電子的に提出された書類を基に通関や規制確認が行われますが、他国の当局や他機関が発行した情報を即座に機械的に検証できる仕組みは十分に整っていません。そのため、疑義が生じた場合には追加書類の提出や説明が求められ、結果として通関や取引全体が遅延することがあります。
このように、書類の形式は電子化されているにもかかわらず、「そのデータが本物であることを、誰が、どの手順で、どこまで責任を持って確認するのか」という点は、関係者ごとに個別対応のまま残されています。結果として、同じ内容の確認作業が取引のたびに繰り返され、時間とコストが構造的に発生し続けているのです。
国際機関の議論が示す転換点
こうした課題認識を受け、国際機関側でも論点が変化しています。
国連CEFACTのフォーラム報告では、新プロジェクトとして UN Verifiable Trade Documents(UNVTD) が紹介され、インボイスや運送状といった貿易文書を「検証可能な貿易文書」としてグローバルに拡張可能なデジタル化を促進する、という趣旨が説明されています。
同報告の文脈では、技術的アーキテクチャとしてVCを採用する方向性が示されています。
参照先:UN/CEFACT – 44th Forum
https://unece.org/trade/uncefact
貿易文書が満たすべき要件とは何か
国際貿易の性質(多国間・多主体・長期運用・法制度との接続)を踏まえると、貿易文書に求められる要件は概ね次のように整理できます。
- 第三者が客観的・再現可能な手順で真正性を検証できること
- 特定ベンダー/特定プラットフォームに依存しないこと
- 人と機械の双方が読み取れる構造であること
- 国境を越えて相互運用できること
- 既存の制度・法制・業務プロセスと両立できること
VCは、W3Cがデータモデルを定義する「検証可能なデジタル証明書」の枠組みであり、暗号学的に検証できる点が特徴です。
VCが貿易文書の文脈で候補に上がるのは、「新しい技術だから」ではなく、この要件セットを満たしやすいデータ形式として整理できるからでしょう。
参照先:UN Verifiable Trade Documents (UNVTD)
https://un.opensource.unicc.org/projects/cefact-unvtd
事例が示す現実:電子化だけでは足りなかった
国連CEFACTのフォーラム報告では、英国で電子貿易文書が法的に認められるようになった一方で、相互運用可能な「デジタル信頼基盤(digital trust layer)」の不足により十分に活用できなかった、という問題意識が共有された旨が記載されています。
各国で電子化や制度整備が進んでも、最終的に残る課題は似通っています。
- 本物であることを、誰が、どうやって、どの責任で確認するのか
- その確認が、関係者ごとに重複していないか
- システムが増えるほど、接続・照会・再提出が増えていないか
つまり、電子化は進んでも「信頼の担保」が人手と個別確認のままだと、取引コストは下がり切りません。英国の事例から分かることは、電子貿易文書が「法的に認められる」ことと、「運用で広く回る」ことは別問題ということです。
ここから、検証可能性をデータ側に持たせるという発想が強く求められるようになりました。
参照先:UK Government – Electronic Trade Documents Act 2023
https://www.legislation.gov.uk/ukpga/2023/38/contents
W3C – Verifiable Credentials Data Model
https://www.w3.org/TR/vc-data-model/
なぜ「実装可能な業務基盤」として考える必要があるのか
ここで注意すべきは、VCが“概念として正しい”だけでは、貿易実務では役に立たない点です。
貿易の現場で問われるのは、常に次の3点です。
- 誰が発行するのか(権限と責任)
- 誰がどの条件で受け入れるのか(制度・規制・監査)
- 既存業務にどう組み込むのか(運用・例外・紛争対応)
弊社が設計を行う際に重視してきたのは、DID/VCを「規格の理解」や「思想論」で終わらせず、企業の業務や制度にどう組み込み、使える形にするかという観点で、事業設計・業務設計・実装支援まで一体で支援することです。
貿易文書のVCも同じです。
VCを“作る”だけでは不十分で、発行・検証・責任・例外処理まで含めた業務基盤として成立するかが勝負になります。
参照先:UNCITRAL – Model Law on Electronic Transferable Records
https://uncitral.un.org/en/texts/ecommerce/modellaw/electronic_transferable_records
まとめ
国際貿易では「電子化」だけでは非効率は解消しにくく、ボトルネックは、第三者が即時に検証できる信頼の共通前提が不足していた点にあります。国際機関の議論も、接続そのものより「検証可能性🟰信頼性」へと重心を移し始めています。
この文脈でVCは、中立性・検証可能性・機械可読性・相互運用性といった要件に適合しやすいことから、貿易文書の設計候補として具体的に議題に上がっています。
ただし、ここで重要なのは「VCを入れること」自体がゴールではない点です。現場で価値が出るかどうかは、誰が発行し、誰が受け入れ、誰がどの責任で検証し、例外や紛争をどう扱うかまで含めて、業務基盤として成立させられるかで決まります。
弊社としては、DID/VCを規格解説や思想論で終わらせるのではなく、企業の業務や制度にどう組み込み、実際に運用できる形にするかという観点で支援してきました。その立場から見ると、国際貿易の文脈でも同様に、「VCを採用するか」ではなく「検証可能なデータを前提とした取引構造を、業務として成立させられるか」が今後の重要な論点になっていくと考えられます。
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