EUDI Wallet実装規則案におけるW3C VCの位置づけ
ニュース原文:https://x.com/larinyo/status/2024025081580573108
EUのEUDI Wallet実装規則案をめぐり、欧州委員会の公開協議に提出された一つの分析が注目を集めています。提出者は、デジタルID分野の専門家である Lluís Alfons Ariño Martín 氏です。
Ariño氏は、スペインのロヴィラ・イ・ヴィルジリ大学で長年にわたりデジタル戦略とICTガバナンスを担ってきた実務家であり、デジタル政策とインターオペラビリティの領域で活動してきました。大学CIOとしての経験に加え、eIDAS関連の専門委員会への関与や、European Blockchain Partnership(EBP)における教育分野の取り組み、さらには教育・職業資格のデジタル証明を扱うEUプロジェクト(DC4EU)のリーダーを務めるなど、欧州のデジタル資格・ID政策の形成に継続的に深く関わっています。
その立場から提出された今回の意見は、単なる技術的なコメントではありません。実装規則案が制度として整合しているかを問う内容です。
指摘は明確です。
W3C VC(Verifiable Credentials)は規則案で参照されているものの、実務上機能するための運用設計が整備されていないというものです。
三つのフォーマット、異なる扱い
実装規則案で参照されている三つのフォーマットは、互いに置き換え可能なものではありません。それぞれが異なる機能領域を担っています。
mdocは、対面や近接型の提示を前提とした設計です。物理的な接触やデバイス間通信を想定したユースケースに適しています。
SD-JWT VCは、軽量なリモート提示に向いています。オンライン環境での効率的な属性提示を主眼に置いた構造です。
これに対してW3C VC(特にJSON-LDモデル)は、セマンティックな表現力を持つ形式です。リンクドデータ構造により、資格や属性の意味を明示的に記述できます。また、ネイティブな非リンク性や停止対応といった特性も備えています。三者は競合関係ではなく、補完関係にあります。用途が異なる以上、制度設計もそれぞれの特性を前提に整備される必要があります。
しかし今回の実装規則案では、mdocとSD-JWT VCには具体的な運用枠組みが与えられている一方、W3C VCについては発行や提示、失効・停止に関する制度設計が十分に示されていないと指摘されています。
規則案の構造を整理すると、三つのフォーマットの扱いには明確な差があり、制度として必要となる要素が、W3C VCについては十分に定義されていないと指摘されています。

その結果、形式上は三つが並列に扱われていても、制度上の実効性には差が生じる可能性があります。
「意味を運ぶ」モデルの不在
Ariño氏が強調するもう一つの論点は、フォーマットの性質の違いです。
mdocやSD-JWT VCは属性データを安全に運ぶ仕組みですが、W3C VC(特にJSON-LDモデル)は意味構造を持つモデルです。資格や職能の内容をセマンティックに表現できるため、国境を越えた理解可能性が高まります。
これにより、異なる国や制度圏にまたがる資格情報の照合が容易になります。単なる属性値の一致ではなく、資格の内容や位置づけまで含めて理解できるため、双方向のマッピングや個別調整を最小化できます。その結果、越境就労や学歴認証の審査負担が軽減され、制度間の相互運用性が高まります。
EUが進める越境資格認証の文脈では、この違いは小さくありません。データの一致ではなく、意味の整合をどう扱うかという制度設計の問題につながります。
この論点は、オープンバッジの制度設計とも接続します。この点については、過去に弊社メディアでも記載していますのでご参照ください。
技術主権との整合は保たれているか
EU議会は2026年1月22日に採択した技術主権に関する決議で、オープン標準の採用、ベンダーロックインの回避、中央集権的な企業支配に依存しないガバナンスの確立を求めています。これは、デジタル基盤を特定企業や特定地域の仕様に依存させないという政治的意思の表明です。
しかし、その約二週間後に公表されたEUDI Wallet実装規則案では、資格情報フォーマットのうち二つには具体的な運用枠組みが整備されている一方で、W3C VCについては同等の制度設計が明示されていないと指摘されています。
原文では、制度的支援の有無が、結果として採用可能性を左右するとされています。規則が具体的な発行手順や提示ルールを定めれば、その形式は事実上の標準になります。逆に、制度的裏付けが弱ければ、形式上参照されていても実務で選択されにくくなります。
技術主権を掲げるのであれば、仕様の選択だけでなく、どの仕様に制度的実効性を与えるのかまで含めて一貫している必要があります。今回の実装規則案がその整合をどこまで保っているのかが、問われています。
問われているのは制度設計の一貫性
今回の議論は、W3C VCを採用するかどうかという話ではありません。すでに規則はそれを参照しています。
問われているのは、参照したフォーマットに対して、発行・提示・失効・停止までを含む運用設計を整備するのかどうかです。形式的包含と実質的運用の間に差が生じれば、制度としての信頼性は揺らぎます。
これはEUだけの問題ではありません。日本を含む各国がデジタル資格制度を設計する際にも、仕様選択と運用責任設計を切り分けて考える必要があります。
VCを規則上参照することと、発行・提示・失効までを制度として設計することは同じではありません。運用手順が明確になって初めて、現場で使える仕組みになります。
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